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2006年 12月 28日 1958年のラジオ技術誌




Xylocopal's Photolog 2006/12/21 "戦前のアサヒカメラを発掘したよ"Xylocopal's Photolog 2006/12/22 "52年前のカメラ雑誌"に続いて、古雑誌ネタです。
今日のお題は、1958年(昭和33年)のラジオ技術。
現代のラジオ技術誌は高級オーディオ専門誌となっていますが、50年ほど前は、ラジオ、テレビ、オーディオ、アマチュア無線の自作者向け総合誌でした。

表紙は、12チャンネル対応テレビチューナです。
ガッチャンガッチャン回して選局する、通称「チャンネル」と呼ばれた部品を横から見たところですね。
1958年末というのは、テレビ放送が12チャンネル時代を迎えようとしていた時期です。
初期のVHFテレビ放送は、1~6chまでの6チャンネルしかありませんでした。
ハイチャンネルと呼ばれた、8chのフジテレビ、10chのNET(今のテレビ朝日)が放送を開始したのは、1959年3月1日。
この雑誌が発行された三ヶ月後のことです。






そんな時期ですから、特集は「12チャンネル対策」となっています。
上は扉にある文章です。
「いよいよ東京タワーが完成し」という文句に時代を感じますが、地上波デジタル放送切換を控えた現代と通じるものも感じます。

私の記憶にある一番古いテレビは、くだんの6チャンネルタイプのものです。
ガチャガチャ回す部分に、1~6までの数字しか記されていませんでした。
両親に、「フジテレビが見たいから12チャンネルテレビを買ってくれ」とせがんだ記憶があります。
私が生まれたのが昭和31年(1956年)ですから、当時は幼稚園に入る前の幼児のはずですが、物欲の記憶というものは忘れないものです。
「三つ子の魂百まで」、我ながら呆れかえります。^^

映画"ALWAYS 三丁目の夕日"の中に、「テレビがやってきた日」の描写がありますが、あの映画、時代設定はまさしく昭和33年、1958年となっています。
このラジオ技術誌は、あの映画の中に置くとピタリと収まります。
ブラウン管の前に緞帳が垂れ下がったテレビ。
垂直同期が乱れたときにはキャビネットの横面を張り倒すと治ったテレビ。
ウサギの耳のような室内アンテナの設置位置によって、きれいに写ったり乱れたりしたテレビ。
真空管式テレビこそは、日本の戦後復興~高度経済成長黎明期のシンボルだったといって間違いないでしょう。






チューナ改造記事です。
写真は、表紙と同じくチューナパーツですね。
フルメカニカル選局ですから、そもそもリモコンという発想がありませんでした。
「チャンネル権争い」という言葉も実体を伴った言葉として存在しました。
電子チューナに切り替わったのは、1960年代終わり頃だったでしょうか。
カラー化後もしばらくは、ガッチャンガッチャンやっていたような記憶があります。






この時代の花形電子デバイスといえば、もちろん真空管です。
1958年当時、ダイオードもトランジスタもありましたが、まだまだ一般的ではありませんでした。
トランジスタがブレイクするのは1960年代に入ってからです。

上は松下電器のパブリシティ。
MT管が写っていますが、GT管もまだまだたくさんあったと思います。
「電子管の力強き歩み」というコピーが、重厚長大な時代を感じさせます。






テレビキットの紹介記事です。
半完成状態で売られるキットは、当時かなり多くの種類が発売されていたようです。
まずは機種の一覧表。
ブラウン管=○○○、チューナ=△△△、真空管=◇◇◇などというあたり、CPU=◎◎◎、HDD=□□□、ビデオボード=×××などという現代のショップメードパソコンのスペック表と似ています。






QQQのテレビキットの紹介です。
外観写真、シャーシ写真にくわえ、しっかりとした回路図まで掲載されています。
QQQというのは、中央無線株式会社のブランド名で、電子パーツの世界では一流ブランドでした。
そのため、キットの中でも高級品扱いで、価格も一番高くなっています。






ロケット商会の14インチテレビキットの紹介です。
使用パーツは、ブラウン管、真空管はもとより、トランス、コイル、コンデンサーまで種類別にメーカーが記してあります。
チタコンのところに"TDK"と書いてありますが、カセットテープやフロッピーディスク、CD-RなどのTDKです。

この時代のテレビは、メーカー製といえど、現代の電子機器のようなプリント配線は使われておらず、ラグ板にリード線ハンダ付という三次元的空中配線が主流でした。
真空管の寿命はそれほど長くないため、交換しやすいようソケットによる実装が主でした。
パーツの精度がイマイチなのか、微調整用の半可変抵抗もたくさん使われていました。
「テレビと○○○は叩けば治る」という大時代的な言葉が存在したのは、こうした構造によるものと思われます。
接触不良になりそうな場所が山ほどありましたから。






巻末の通販ページにおけるテレビキットです。
安いものは42000円からあります。
写っていませんが、一番安いものは26000円となっています。
当時、大卒初任給=13467円、スバル360テントウムシ=425000円、フラフープ=270円、チキンラーメン=35円という時代です。
初任給の2~3倍ですから、モノクロテレビキットといえど非常に高価です。
重量30kgというのも凄まじいですね。






こちらは、キットではない完成品の日立製テレビです。
一番安いものでも66500円ですから、キットを組み立てるメリットは充分あります。
ブラウン管が大きい方が高いのは当たり前ですが、受信感度によっても価格が違います。
遠距離用、超遠距離用と記されたものが高価になっています。

この「ラジオ技術」は義父が買ったものです。
義父は当時、工学部の大学院生で、アルバイト代わりにテレビを自作しては売り、おおいに儲かったそうです。
安ければ、外観デザインなど問題にされず、学生が作ったテレビでも売れたのだそうです。
当時、義父が作った管球式オーディオアンプが残っていますが、シャーシ内部の配線、ハンダ付の水準はかなり高く、現在メカ音痴の義父の作品には到底見えません。
たしかに、これなら買う人がいるだろうなぁ、という出来ばえでした。






以下、広告の紹介です。
上は、FMチューナ付アンプ、いわゆるレシーバといわれるタイプのオーディオアンプです。
ブランドはトリオ。メーカーは春日無線工業。
現在のKenwoodです。
Kenwoodはトリオ時代からFMに強いのがウリで、FMチューナはトリオが一番!というのが30年ぐらい前のオーディオマニアの常識となっていました。






こちらはパイオニアの広告です。
旧社名の「福音電気」の文字が見えます。
写っているのはモジュラーステレオと呼ばれた、ターンテーブル、アンプ、スピーカーが一体となったオーディオ装置です。
この時代に、2wayスピーカー搭載のオーディオ装置を一般向けに販売していたとは、パイオニアなかなかやるもんです。
説明文に、"16000サイクル"とありますが、これは16KHzの昔風の表記です。
ヘクトパスカルとミリバールのような関係ですね。






ソニーのテープレコーダーです。
この年(1958年)に東京通信工業が社名変更してソニーとなりました。
ソニーを東通工(とうつうこう)と呼ぶ人がいるのはこのためです。

昭和30年代、ソニーはトランジスタラジオとテープレコーダーのメーカーとして一般に認知されていました。
真ん中のキャラクターは、岡部冬彦描く「ソニー坊や」です。
ソニー坊やは、ソニーの広告や販促用パンフレットなどに必ず描かれました。
ソフトビニールの人形もノベルティとして何種類も作られています。






上の広告の裏面です。
テープレコーダーの利用目的が記されています。
当時、テープレコーダーというものを知らない人が多かったこと、そして、この未開拓の分野において、ソニーが社運をかけてテープレコーダーを売ろうとしていたことが分かります。
テープレコーダーは、1950年、東京通信機工業時代のソニーが紙テープ式のモデルを発売したのが日本最初の製品でした。
by xylocopal2 | 2006-12-28 22:03 | Favorites
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