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2006年 12月 31日 大晦日



Canon EOS 30D
Canon EF 70-200mm F4L USM


早いもので、もう大晦日です。
今年のアクティビティは下記のとおりでした。
--------------------------------------
撮った写真: 23670枚
 デジタル写真:約22800枚
  EOS 10D: 約7000枚
  EOS 30D: 約14000枚
  FinePix F11: 約1800枚
 銀塩写真: 35本(870枚)
  135判: 30本(810枚)
  120判: 5本(60枚)

Photologに掲載した写真: 1487枚

買ったカメラ: 8台(新品1台、中古7台)
売ったカメラ: 3台
買ったレンズ:18本(新品2本、中古およびジャンク16本)
売ったレンズ:7本
--------------------------------------

なんだか、出入りの多い年でした。
写真の歩留まりも悪いです。
来年こそは、心を入れ替えて真人間になり、あまりカメラやレンズを買わないようにして、明鏡止水、心の写真を撮りたいと思います。
まぁ、無理だとは思いますが、書いておくことにします。^^

一年間ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
それでは、良い年をお迎えください。
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by xylocopal2 | 2006-12-31 16:18 | Seasons
2006年 12月 30日 A woman in red overcoart




名古屋市中区久屋大通にて

CHINON CS-4
Voigtländer Color-Ultron 50mm F1.8
Konica Minolta Centuria Super 100
EPSON GT-X750
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by xylocopal2 | 2006-12-30 16:52 | Snap
2006年 12月 29日 街の視線




名古屋市千種区今池にて

Canon EOS 100QD
Canon EF 50mm F1.4 USM
ILFORD XP2 SUPER
EPSON GT-X750
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by xylocopal2 | 2006-12-29 20:56 | Monochrome
2006年 12月 28日 1958年のラジオ技術誌




Xylocopal's Photolog 2006/12/21 "戦前のアサヒカメラを発掘したよ"Xylocopal's Photolog 2006/12/22 "52年前のカメラ雑誌"に続いて、古雑誌ネタです。
今日のお題は、1958年(昭和33年)のラジオ技術。
現代のラジオ技術誌は高級オーディオ専門誌となっていますが、50年ほど前は、ラジオ、テレビ、オーディオ、アマチュア無線の自作者向け総合誌でした。

表紙は、12チャンネル対応テレビチューナです。
ガッチャンガッチャン回して選局する、通称「チャンネル」と呼ばれた部品を横から見たところですね。
1958年末というのは、テレビ放送が12チャンネル時代を迎えようとしていた時期です。
初期のVHFテレビ放送は、1~6chまでの6チャンネルしかありませんでした。
ハイチャンネルと呼ばれた、8chのフジテレビ、10chのNET(今のテレビ朝日)が放送を開始したのは、1959年3月1日。
この雑誌が発行された三ヶ月後のことです。






そんな時期ですから、特集は「12チャンネル対策」となっています。
上は扉にある文章です。
「いよいよ東京タワーが完成し」という文句に時代を感じますが、地上波デジタル放送切換を控えた現代と通じるものも感じます。

私の記憶にある一番古いテレビは、くだんの6チャンネルタイプのものです。
ガチャガチャ回す部分に、1~6までの数字しか記されていませんでした。
両親に、「フジテレビが見たいから12チャンネルテレビを買ってくれ」とせがんだ記憶があります。
私が生まれたのが昭和31年(1956年)ですから、当時は幼稚園に入る前の幼児のはずですが、物欲の記憶というものは忘れないものです。
「三つ子の魂百まで」、我ながら呆れかえります。^^

映画"ALWAYS 三丁目の夕日"の中に、「テレビがやってきた日」の描写がありますが、あの映画、時代設定はまさしく昭和33年、1958年となっています。
このラジオ技術誌は、あの映画の中に置くとピタリと収まります。
ブラウン管の前に緞帳が垂れ下がったテレビ。
垂直同期が乱れたときにはキャビネットの横面を張り倒すと治ったテレビ。
ウサギの耳のような室内アンテナの設置位置によって、きれいに写ったり乱れたりしたテレビ。
真空管式テレビこそは、日本の戦後復興~高度経済成長黎明期のシンボルだったといって間違いないでしょう。






チューナ改造記事です。
写真は、表紙と同じくチューナパーツですね。
フルメカニカル選局ですから、そもそもリモコンという発想がありませんでした。
「チャンネル権争い」という言葉も実体を伴った言葉として存在しました。
電子チューナに切り替わったのは、1960年代終わり頃だったでしょうか。
カラー化後もしばらくは、ガッチャンガッチャンやっていたような記憶があります。






この時代の花形電子デバイスといえば、もちろん真空管です。
1958年当時、ダイオードもトランジスタもありましたが、まだまだ一般的ではありませんでした。
トランジスタがブレイクするのは1960年代に入ってからです。

上は松下電器のパブリシティ。
MT管が写っていますが、GT管もまだまだたくさんあったと思います。
「電子管の力強き歩み」というコピーが、重厚長大な時代を感じさせます。






テレビキットの紹介記事です。
半完成状態で売られるキットは、当時かなり多くの種類が発売されていたようです。
まずは機種の一覧表。
ブラウン管=○○○、チューナ=△△△、真空管=◇◇◇などというあたり、CPU=◎◎◎、HDD=□□□、ビデオボード=×××などという現代のショップメードパソコンのスペック表と似ています。






QQQのテレビキットの紹介です。
外観写真、シャーシ写真にくわえ、しっかりとした回路図まで掲載されています。
QQQというのは、中央無線株式会社のブランド名で、電子パーツの世界では一流ブランドでした。
そのため、キットの中でも高級品扱いで、価格も一番高くなっています。






ロケット商会の14インチテレビキットの紹介です。
使用パーツは、ブラウン管、真空管はもとより、トランス、コイル、コンデンサーまで種類別にメーカーが記してあります。
チタコンのところに"TDK"と書いてありますが、カセットテープやフロッピーディスク、CD-RなどのTDKです。

この時代のテレビは、メーカー製といえど、現代の電子機器のようなプリント配線は使われておらず、ラグ板にリード線ハンダ付という三次元的空中配線が主流でした。
真空管の寿命はそれほど長くないため、交換しやすいようソケットによる実装が主でした。
パーツの精度がイマイチなのか、微調整用の半可変抵抗もたくさん使われていました。
「テレビと○○○は叩けば治る」という大時代的な言葉が存在したのは、こうした構造によるものと思われます。
接触不良になりそうな場所が山ほどありましたから。






巻末の通販ページにおけるテレビキットです。
安いものは42000円からあります。
写っていませんが、一番安いものは26000円となっています。
当時、大卒初任給=13467円、スバル360テントウムシ=425000円、フラフープ=270円、チキンラーメン=35円という時代です。
初任給の2~3倍ですから、モノクロテレビキットといえど非常に高価です。
重量30kgというのも凄まじいですね。






こちらは、キットではない完成品の日立製テレビです。
一番安いものでも66500円ですから、キットを組み立てるメリットは充分あります。
ブラウン管が大きい方が高いのは当たり前ですが、受信感度によっても価格が違います。
遠距離用、超遠距離用と記されたものが高価になっています。

この「ラジオ技術」は義父が買ったものです。
義父は当時、工学部の大学院生で、アルバイト代わりにテレビを自作しては売り、おおいに儲かったそうです。
安ければ、外観デザインなど問題にされず、学生が作ったテレビでも売れたのだそうです。
当時、義父が作った管球式オーディオアンプが残っていますが、シャーシ内部の配線、ハンダ付の水準はかなり高く、現在メカ音痴の義父の作品には到底見えません。
たしかに、これなら買う人がいるだろうなぁ、という出来ばえでした。






以下、広告の紹介です。
上は、FMチューナ付アンプ、いわゆるレシーバといわれるタイプのオーディオアンプです。
ブランドはトリオ。メーカーは春日無線工業。
現在のKenwoodです。
Kenwoodはトリオ時代からFMに強いのがウリで、FMチューナはトリオが一番!というのが30年ぐらい前のオーディオマニアの常識となっていました。






こちらはパイオニアの広告です。
旧社名の「福音電気」の文字が見えます。
写っているのはモジュラーステレオと呼ばれた、ターンテーブル、アンプ、スピーカーが一体となったオーディオ装置です。
この時代に、2wayスピーカー搭載のオーディオ装置を一般向けに販売していたとは、パイオニアなかなかやるもんです。
説明文に、"16000サイクル"とありますが、これは16KHzの昔風の表記です。
ヘクトパスカルとミリバールのような関係ですね。






ソニーのテープレコーダーです。
この年(1958年)に東京通信工業が社名変更してソニーとなりました。
ソニーを東通工(とうつうこう)と呼ぶ人がいるのはこのためです。

昭和30年代、ソニーはトランジスタラジオとテープレコーダーのメーカーとして一般に認知されていました。
真ん中のキャラクターは、岡部冬彦描く「ソニー坊や」です。
ソニー坊やは、ソニーの広告や販促用パンフレットなどに必ず描かれました。
ソフトビニールの人形もノベルティとして何種類も作られています。






上の広告の裏面です。
テープレコーダーの利用目的が記されています。
当時、テープレコーダーというものを知らない人が多かったこと、そして、この未開拓の分野において、ソニーが社運をかけてテープレコーダーを売ろうとしていたことが分かります。
テープレコーダーは、1950年、東京通信機工業時代のソニーが紙テープ式のモデルを発売したのが日本最初の製品でした。
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by xylocopal2 | 2006-12-28 22:03 | Favorites
2006年 12月 27日 今日の空 雨のち晴








名古屋市中区にて

Canon EOS 30D
SIGMA 18-50mm F3.5-5.6 DC
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by xylocopal2 | 2006-12-27 20:14 | Sky
2006年 12月 26日 雨降る空




名古屋市千種区の自室から

Canon EOS 30D
Canon EF 20mm F2.8 USM
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by xylocopal2 | 2006-12-26 14:02 | Monochrome
2006年 12月 25日 桜山にて
















名古屋市昭和区桜山にて

Canon EOS 30D
Canon EF 35mm F2
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by xylocopal2 | 2006-12-25 18:47 | Light and Shadow
2006年 12月 24日 斜光都市
















名古屋市中区~千種区にて

CHINON CS-4
Voigtländer Color-Ultron 50mm F1.8
Konica Minolta Centuria Super 100
EPSON GT-X750
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by xylocopal2 | 2006-12-24 15:16 | Light and Shadow
2006年 12月 23日 丸栄スカイル 歳末中古カメラ市にて




恒例の名古屋丸栄スカイル"歳末中古カメラ・用品バーゲン"に行ってきました。
今日が初日なのですが、意外に空いていました。

今回は春秋の中古カメラ市に比べると、出店数が少なくなっています。
特に、レンズのジャンクを出す店が来ていないので、私的には大いにものたりないものでした。
やはり、ワゴン一杯に並んだジャンクレンズがないと、中古カメラ市という感じがしません。^^

仕方がないので、300円均一のレンズポーチを2つ買って帰りました。
大きなものはストロボ収納用に、小さなものはM42レンズ用のつもりです。
店のおっちゃんは、2つで600円のところを500円にまけてくれました。
たった100円でもまけてもらうと嬉しい中古カメラ市でした。^^





















名古屋市中区 丸栄スカイルにて

Canon EOS 30D
Canon EF 24mm F2.8
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by xylocopal2 | 2006-12-23 17:03 | Snap
2006年 12月 22日 52年前のカメラ雑誌




昨日のエントリ、Xylocopal's Photolog 2006/12/21 "戦前のアサヒカメラを発掘したよ"に続いて、古いカメラ雑誌の紹介です。
今日のお題は、1954年(昭和29年)発行のアルスカメラ、正式にはアルス社発行の"Camera"という写真雑誌です。
カメラという誌名が一般名詞と区別できないので、アルスカメラと呼ばれることが多いです。

表紙はスキーウェアに身を包んだ若い女性のカラー写真。
昨日紹介した、東条英機表紙のアサヒカメラから、わずか12年でこの変わりようです。
やはり、平和はいいですよ。
撮ったカメラマンは稲村隆正。
この時代の写真雑誌には、今やビッグネームになった写真家たちの若き日の作品がいたるところで見受けられます。

裏表紙は、フジフィルムのネオパンSSの広告になっています。
ネオパンSSというのは現在も製造されているISO100のモノクロフィルムです。
現在でこそ、ISO100フィルムは低感度フィルムですが、この時代は超高感度フィルムでした。
「冬の撮影には」というコピーや、「ネオパンSSロール」の上に書いてある「超高感度」という文字を見ると、普段気軽に使う常用フィルムではないことが窺い知れます。
おそらく、当時の常用フィルムは、ISO32~50程度だったのではないかと思います。
この時代のカメラに、ISO400のフィルムを詰めると、晴天時に絞りきれなくなるのも無理はありません。






表紙をめくった部分です。
広告料が高い場所ですから、その時代に勢いがあるカメラメーカーが載ることになります。
現在であれば、キヤノン、ニコン、ペンタックス、オリンパスなどが並ぶ位置です。
この号には、マミヤ、キヤノン、ミノルタ、オリエンタルフィルムが載っています。
キヤノンは精機光学からのCIが済んでいますが、「千代光の贈る二題」という文字を見ると、ミノルタは千代田光学のままだったようです。






目次裏部分、ここも広告料が高い場所です。
右側にトプコンの東京光学、左側にペトリの栗林写真機が載っています。
当時、この両者の人気が高く、業績がよかったことが分かります。

ところで、前の広告といい、二眼レフがやたらと目に付きます。
この号に掲載されているカメラ広告の半分以上が二眼レフではないかと思える多さです。
どうやら、1954年というのは、二眼レフブームがピークに達する直前ぐらいの時期にあたるようなのです。






新製品速報にあたるページです。
見事に二眼レフばかり。
二眼レフブームのピーク時には、A~Zまで、2~3の欠落を除き、ほとんどの頭文字の機種があったといわれています。
実際、それぐらい多くの二眼レフ広告が載っています。
この号に掲載されている二眼レフ広告をアルファベット順に並べてみました。
---------------------------------------
Airesflex アイレス写真機製作所
Amiflex 関東光学
Alpenflex 八陽光学

Beautyflex 太陽堂光機

Crystar クリスター光機
Cosmoflex アルファカメラ製作所

D

Elmoflex エルモ社

Firstflex 皆川商店

G

Hobiflex 東郷堂

Isocaflex 磯川光機/竹本商会

J

K

Laurelflex 東京光学/服部時計店

Mamiyaflex マミヤ光機
Minoltaflex 千代田光学/浅沼商会
Minoltacord 千代田光学/浅沼商会
Museflex 東郷堂

Nikkenflex 日本光研/日本橋写真商事

Olympusflex オリンパス/ワルツ商会

Primoflex 東京光学/大沢商会
Petriflex 栗林写真機械製作所
Princeflex 東洋精機光学/美馬商会

Queenflex スーパー写真用品

Ricohflex 理研光学工業

Silverflex 日本光機

T

U

Vesterflex タチバナ商会

Welmyflex 水野写真機店

X

Yashimaflex 八洲光学精機

Zenobiaflex 第一光学/服部時計店
---------------------------------------


全27種類、D、G、J、K、T、U、Xを除き、アルファベットが並びました。
ピーク時というのは、この2~3年後らしいのですが、雑誌広告を出せないメーカーまで含めると、さらに多くの機種が発売されたに違いありません。
外観はどれもこれも似たようなものですが、品質にはかなり差があったといいます。
二眼レフというものは、非常にシンプルな作りになっていますから、近代的大規模工場を必要としません。
これらの中にはアパートの四畳半で作られた二眼レフもあったと聞きます。






二眼レフブームの火付け役となったリコーフレックスです。
この広告はVII型、6800円です。
1954年当時、かけうどん一杯30円、ビール大瓶1本120円、タバコ(ピース)が45円だったそうです。
アルスカメラが160円。週刊朝日が30円。
ざっくりとしたところで、現在の1/5~1/6の物価でしょうか。
ということは、リコーフレックスVIIは、現在の35000円~40000円ほどの価値だったと思われます。
その他のカメラの価格も載っています。






これを見ると、リコーフレックスが爆発的に売れた理由が一発で分かります。
二眼レフブームの火付け役となった、1950年発売のRicohflex IIIはケース無しで5800円です。
1954年のRicohflex VIIでも6800円。
しかるに、上に並んだカメラの値段は2~3倍以上、ニコンやキヤノンのレンジファインダーに至っては10倍以上の価格です。
リコーフレックスが現在の物価で4万円とすれば、Canon IV Sb、Nikon Sは40万円を超えることになります。

キヤノンやニコンがこの価格ですから、海外製品はもっと高いです。
巻末の中古相場一覧から抜粋すると、

 ライカIIIF+ズマリットF1.5=14万円
 コンタックスIIIA+ゾナーF1.5=22万円
 ローライフレックスV+ビオメターF2.8=15万円

これ、あくまでも中古価格です。
コンタックスIIIAは現在でいえば、100万円を超えています。
一般庶民に買えるものではないですね。
そのせいか、新品の外国製カメラの広告はひとつもありません。






当時の花形カメラ寸評という記事から抜粋しました。
コニカの評価は、まだまだ高いですね。
小西六の、のれん人気というものが生き残っている時代でした。
ニコンのカメラは頑強で知られていたようです。
他社のカメラが「壊れにくい」なのに対して「壊れない」ですから。^^
残念ながら、ここに上げてある以上のメーカーについては言及がありませんでした。

それにしても、アルコ35が花形カメラとして並んでいるのには、少々驚きました。
アルコ35ってのは、こんな形をした蛇腹式フォールディングカメラです。
以前、蛇腹が付いていて折りたためる135判カメラを猿のように集めていた頃、欲しいなあと思ったものの、たいしたことはないだろうと買わずにいたカメラです。
当時、そんなに人気があったとは知りませんでした。






アルスカメラの執筆陣は豪華です。
編集長が桑原甲子雄、月例写真の選評者が木村伊兵衛と土門拳です。
写真史上に名を残す、こうした巨人たちに選評された当時のアマチュアは果報者ですね。
木村伊兵衛はアルスカメラとは関係が深かったらしく、月例写真選評の他、「私の35mm写真術」という連載もしています。

この号の巻頭写真は植田正治、新人作家傑作集には細江英公が載っています。
その他の写真もレベルは滅法高く、緊張感のある良い写真が多いです。
アルスカメラは廃刊になってしまいましたが、内容のしっかりしたいい雑誌だったのだなあと思います。
カメラ毎日といい、硬派の写真雑誌は読者に受け入れられない部分があるようです。






機材解説も充実しています。
充実というよりは異例に詳細です。
上は、レンズシャッターの動作原理。
本文は数式入りで、理工系大学の論文のようです。
現代のカメラ雑誌に、フォーカルプレーンシャッターの構造解説が載ることはまずないでしょう。






やたらと目立つのがヌードスタジオ、ヌード写真集の広告です。
フランスヌード傑作集、アメリカヌード傑作集、日本ヌード傑作集、絢爛華麗天然色写真5葉、別刷写真31葉などと広告に謳われています。
戦後の開放的な雰囲気と、未だ女性のヌード写真が一般的ではなかった時代の雰囲気と、両方を感じ取ることができます。
これが、戦後アプレゲールというやつなのでしょうか。






いくつか印象に残ったカメラがあるので紹介しておきます。
上は、八洲光学のYashimaflex。
後のヤシカフレックスです。
一面広告。「機構」、「スタイル」、「値段」、三拍子揃ったヤシマフレックス」と書かれています。
価格は、15000円。
6800円のリコーフレックスほどではありませんが、まぁまぁ買いやすい値段です。

レンズは、トリローザ80mm F3.5。
富岡光学の誇る名玉です。
この時代は富岡光学の名前を表に出していますね。
富岡光学のレンズは何本か持っていますが、名前が表に出ているものは、残念ながらありません。






現在、私が持っている唯一の二眼レフ、Meopta Flexaretが海外カメラニュースに載っていました。
年代的には、フレクサレットIVのはずですが、レンズがミラールだし、写真はどうみてもフレクサレットIIIです。
識別点は、テイクレンズ下のフォーカシングレバーの形状です。
Meopta Official Websiteを見れば分かります。
Flexaret IIIは1950年に製造中止になっています。
そのカメラがアメリカ市場に現れたのが1953~1954年。
この頃は時差が非常に大きかったのですね。
鉄のカーテンの堅固さも信じられないほどだったとは思いますが。

このフレクサレット、$99.88となっています。
$1=360円の固定相場の時代ですから、36000円です。
現代の物価になおすと、ざっと20万円。
フレクサレットの価値が20万円ですよ。
舶来でありさえすればありがたい、という時代がよく分かります。






万能35mm一眼レフを謳うこのカメラは、アサヒフレックス。
現代のペンタックスの直系御先祖様です。
パララックスのない一眼レフのメリットを示すため、月面望遠写真と、眼の接写写真を載せています。
たしかに、この手の写真は二眼レフやレンジファインダーでは撮れませんから、説得力があります。
中間リングを「接写中継輪」と記すあたりが時代を感じさせます。

というわけで、アルスカメラ篇はこれでおしまい。
次回は、1958年のラジオ技術の紹介をします。
「テレビオールチャンネル時代到来、12チャンネル化の準備は万全か?」なんて記事満載です。
これも面白いですよ。
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by xylocopal2 | 2006-12-22 23:59 | Favorites


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